随 想

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の40周年と未来に向けて
大石修治


はじめに
神奈川県で唯一のプロのオーケストラである神奈川フィル(通称)は、1970年に県内の演奏家が結束して誕生したロリエ管弦楽団が前身になります。私は4年前の2006年に民間企業から神奈川フィルに入りました。これまでの歴史を少し紐解きながら、神奈川県の文化のシンボルとして、オーケストラの果たす役割と使命を中心に、お話したいと思います。

40年の歴史から
神奈川フィルの40年を振り返ると、多くの教訓が残されています。一つは素晴らしいオーケストラ技術を向上させてきた歴代指揮者と音楽監督の情熱、そしてそれに応じてきた楽団員一人ひとりの研鑚努力です。1970年に記念すべき第1回定期演奏会の指揮をした大木孝雄氏をはじめ、初代指揮者の前田幸市郎氏、首席指揮者の佐藤功太郎氏、そして4人の常任指揮者、黒岩英臣氏、手塚幸紀氏、現田茂夫氏、金聖響氏。さらに、音楽監督は歴代3人が就任しました。1991年に初代監督になられた山田一雄氏、2代目の外山雄三氏、そして3代目がドイツ出身のハンス=マルティン・シュナイト氏でした。このように多くの歴代指揮者とともに、数多くの客員指揮者の力を戴く中40年の歳月に熟成されて、今日の基礎土台を築きあげ格段の芸術水準のレベルアップに繋がっていったと思います。直接的には、私が就任した翌年の2007年に音楽監督を招聘したシュナイト氏は2009年3月まで音楽監督を務められ、心に残る多くの感銘を受けました。バッハのバロック音楽やハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど古典派音楽と宗教音楽など、まさに作曲家の魂がシュナイト氏を通じて直に伝わってきました。そこには本物の音楽の神髄を日本人に伝えていこうとする姿勢が強烈に印象に残っております。それは、緊張した空気とともに、時には厳しすぎて楽団員、合唱団員を震え上がらせることもありましたが、紡ぎ出る音楽はいつも温かく、聴衆の心を優しく包み込む音でした。
 また、1996年から指揮者として就任した現田茂夫氏は2000年から2009年まで9年間常任指揮者を務め、あわせて13年以上の長期に亘り演奏力の向上と合唱団の結成など新たな変革に尽力し、貢献されました。楽団が厳しい時期のなかで支えてきた努力は私の脳裏に焼き付いております。現在は名誉指揮者として定期演奏会などにご尽力を頂いております。
 そして、忘れてはならないのは、日本を代表する作曲家である團 伊玖磨氏と神奈川フィルの関係であります。團氏は1996年から2001年まで芸術顧問として神奈川フィルの芸術向上を支えてきました。残念ながら2001年に日本中国文化交流協会主催の親善旅行で中国に滞在中、蘇州市の病院で逝去されました。神奈川フィルの桂冠芸術顧問として、その名が刻まれ、今に生き続けております。昨今の日中関係を良好に導くためにもアジアの平和を目指した音楽による日中文化交流の灯火を消すことなく引き継ぐことが、残された者の役割でもあります。團氏はオペラをはじめ、交響曲、童謡、歌曲、など幅広く作曲を手がけ、神奈川フィルとしても、オペラ「夕鶴」をはじめ、定期演奏会でも團作品をとりあげ演奏して参りました。昨年も創立40周年を記念して、團氏とゆかりのある名誉指揮者、現田茂夫氏の指揮で、管弦楽のための幻想曲「飛天繚乱」を12月の定期演奏会で演奏しました。さらに、神奈川フィルは映画音楽、ミュージカル、アメリカンポップスなど幅広いジャンルでオーケストラの魅力を伝えていく活動をしてきました。2002年からポップス・オーケストラ音楽監督に就任した藤野浩一氏の熱意と多くのファンが今日を支えているといっても過言ではないでしょう。他のオーケストラよりエンタテイメント性とオーケストラ技術の高い魅力ある音楽の創造に力を入れてきました。神奈川フィルのポップス・オーケストラは日本のオーケストラでは最も長い時間と歴史を刻みこみ、その技術は最高に位置していると外部からも評価されています。そして、若い人達へのオーケストラ普及とポップスからクラシック音楽ファンへの入り口を拡げていくことも視野に入れて斬新なアイディアを駆使して取り組んでいます。
 昨年40周年を迎えて、次の時代への進化をめざす神奈川フィルは、2009年から新しく常任指揮者に金聖響氏を招聘して3年目に入ります。変革期にあるこのオーケストラを変えていく起爆剤として、金氏の若さとエネルギッシュな躍動感を期待しての登場です。その一つにマーラーに挑戦して一段と上を目指す取り組みがあります。2010年4月の定期演奏会ではマーラー交響曲第3番を演奏し多くの聴衆から絶賛を受けました。5月の創立40周年記念演奏会では、交響曲第2番「復活」を演奏して、多くの皆様を感動させて創立40周年に華を添えることができました。今後もマーラーの作品に取り組むとともに、古典派、ロマン派、近代へと幅広く挑戦してお客様を満足させていきます。オーケストラの命はクオリティの向上であり、楽団員の一人ひとりの力が神奈川フィルの豊かな音楽を創っていきます。また、オーケストラの使命は、文化芸術が人々に幸せと、平和と、繁栄をもたらす強い力があると信じて、一人でも多くの人々に音楽を通じて、生きる力に繋がるように、志を持って邁進していくことだと思います。
 そして、神奈川フィル40年を考えた時もう一つ大切な教訓は、フロントサイドの楽団経営を運営する苦難の歴史です。初代の理事長である野村光一氏、その後を継承した上野豊氏、さらに植木浩氏、そして、現在理事長の平野裕氏、副理事長の飯岡樹氏のご苦労は言葉では言い表せないものがあります。また、理事長を支えてこられた県や歴代事務局の幹部の皆様も身を削る苦労があったと思います。これらの思いを無駄にすることなくいかしていかねばなりません。
 昨年神奈川フィルが10万人の「署名応援」の活動を展開してきた背景こそ、楽団経営の厳しい現実そのものであります。今、大切なことは神奈川フィルの未来へ向けて、過去の反省と教訓を今後に生かしていくことです。それは、フロントの経営マネージメントの強化と、音づくりの技術マネージメントとのバランスがとれたオーケストラ経営であります。そのためにも財務改善をはじめ、マーケティング戦略、広報戦略、ネットワーク戦略など、さらなる楽団の総合的経営基盤の整備が重要です。さらに、国と地方の財政状況を考えると、今後は文化庁や自治体の文化振興への支援補助が厳しくなる局面が予想されます。神奈川フィルの未来と日本の文化芸術の未来が、共に明るい未来へと繋がる道となるように、一緒に歩みだしていける文化立国をめざすことが、最も大事なテーマだと思います。

未来への新たな旅立ち
私は就任してすぐに引っ越しから改革をスタートさせました。従来から事務所があった保土ヶ谷のアートホールは練習所として環境に恵まれておりますが、制作メンバーを残して中区の県庁近くに新しい事務所を構えました。古い建物ですが、家賃も安く楽団への負担を軽くして、地域社会と密接に連携していく対外的なネットワークづくりを開始しました。県との連携をはじめ、各行政窓口や音楽ホール、スポンサーである企業団体、マスコミ関係などアクセスの便利さと時間の効率性を大きく改善しました。組織機能も営業体制や広報宣伝などマーケティング戦略やネットワーク戦略を駆使する新たな機能を強化しました。また、総務財務管理のエキスパートを採用するなど、内部体制のインフラ整備を行い、音楽芸術づくりの現場と外部ネットワーク強化をめざし、内外のバランスのとれた総合的な楽団経営に着手しました。ここ3年間で、入場者数や、定期会員の増加、テレビ・新聞・雑誌への情報発信の増加など、成果が見られますが、無から有を創る状況下、さらなるその効果を発揮してくるものと確信しています。そして、過去から積み残された問題を一つひとつ紐解きながら前進させてきました。なかでも長年に亘り懸案であった定年退職制度を組合との理解と協力のもと確立することができました。まだ、残された課題は数多くありますが、健全で安定した経営基盤をつくるためにも、公益法人制度改革や財務改革など、幾つかの大きな壁を乗り越えなくてはなりません。改革への道のりは続きますが、あきらめず、根気強く、地道に、多くの皆様に支援をいただきながら、公共の文化財産であるオーケストラを守って参ります。
神奈川フィルの新たなスローガンを「地域に密着した音楽文化創造を使命に」としました。神奈川県に一つしかないオーケストラをもっと多くの人々に知っていただきたいと思います。
県民から親しまれ、愛され、支えられ、応援していただき、県民であり市民である皆様のためにあるオーケストラとして、地域に密着して広く伝えて参ります。神奈川フィルの演奏がひとりでも多くの人々に明日への生きる力となりますように、そして、神奈川フィルを誇りに感じていただけるように、演奏技術を磨き素晴らしい音楽を奏でることが使命であると思います。 この度の10万人の「署名応援」が大きな力となって勇気を与えていただきました。10万人の支援ネットワークを継続フォローして20万人運動を目指すなど、今後に生かして参ります。また、応援メッセージには「オーケストラのある県は誇りです」「経済状況が厳しい今こそ、芸術文化を守り育てる必要がある」「芸術文化は人間生活になくてはならないもの」「文化を保護できない国は悲しいです」「文化レベルが国の評価に関わる」「70年の人生で一番感動したのが神奈川フィルの演奏です」「オーケストラの公演に行くととても元気になれます」「神奈川フィルの演奏を聴いた子どもたちが帰ってきて感動したと言っていました」「創造性豊かな未来ある子どものためにこれからも本物の演奏と感動を与えてください」「音楽は人の心に潤いを与え優しい子供に育てます」「高校生の時学校で行った神奈川フィルの演奏を初めて聴いてファンになりました」「地域密着で貢献している神奈川フィルは私たちの誇りです」など、多くのメッセージに胸が熱くなりました。こんなにまで私たちのことを大切に思っていただいてることに、心から嬉しく涙が溢れました。それは私たちが何をやるべきかを改めて認識させ確信へと繋がり、大きな勇気をいただきました。これを機会に新たに取り組むことは従来以上にもっと多くの人たちに聴いていただく機会をつくることであり、小編成や室内楽なども駆使して今まで演奏する機会のなかった地域にもきめ細かく活動して広めていく考えです。オーケストラの永続は、その国の文化と人々の心の豊かさの象徴といえます。また、未来への夢でもあります。オーケストラをはじめとする文化芸術の力が、子どもの創造性を豊かにすることや、都市の活性化と経済的波及効果をつくりだすなど、その力は無限にあります。近い未来に神奈川県横浜がアジアの文化芸術のハブ(拠点)となり「アジア国際交流音楽祭」 (仮称)が開催されて、神奈川フィルが活躍するときがくるかもしれません。初の海外公演も実現してアジア諸国との文化交流の一翼となり、互いに行き来しているかもしれません。さらに、文化芸術が世界の平和に貢献して「音楽のオリンピック」も決して夢ではないと明るい希望を抱いております。

文化立国への道づくり
文化芸術は自然と共生する中から生まれ創られるところに、永遠の輝きが存在しています。戦後日本は過度な経済成長と物質文明の陰で、心の豊かさや潤いの大切さが軽視されてきました。文化芸術が人間の精神的成長を創り出す源であることが忘れ去られております。経済発展とともに人心の汚染が地球環境の汚染へと流されていく姿は、見るに忍びないという思いを持つ人は多いかと思います。「文化と経済は国家の両輪」と河合準雄氏(元文化庁長官)はバランスの大切さを述べていましたが、文化芸術を大切にする国には、必ず豊かな未来があります。そして、文化力のある国民が、知的な国を創る原動力となり、その知的な国民が、政治、行政、企業などに質の高い答えを求めて、そこに知的文化国家が構築されていくのだと思います。音楽文化の高揚が人々の精神を良化して人間の精神的発展へ導くことは間違いありません。文化芸術が、創造力と人間性を豊かに育てる力を持つことに、早く気付くことであり、特に国家戦略として芸術教育などの文化政策に政治家が哲学、哲理をもって臨まなくては先進国とはいえないと思います。「国づくりは、人づくり」まさに、成長していく創造力のある国づくりは、創造力のある人をつくることから始まります。日本は長期的展望に立ち、10年から20年懸けても、確実に未来への成長に繋がる人づくり政策が一番の近道だと思います。このままでは、積み重ねてきた日本の経済力も人々の精神性や創造性、革新性、人間性なども高揚なくして、その力は衰退していきます。それは、政治も企業も教育もすべての最前線である現場において士気の低下をもたらします。文化芸術を担うオーケストラは、日々、人々の心に潤いと喜び、感動を伝えていきます。それが明日への生きる力に繋がり、未来への明るい光と希望、そして意欲を生み出す源になるように、使命と役割を果たして参ります。子どもたちには芸術教育の一環としてオーケストラによる本物の芸術体験事業を毎年行い、創造力、人間性など感性を磨く活動をしています。現場での地道な活動の積み重ねが、文化を創造していきます。ちょうどローソクの炎のように、身を溶かしながら人のため世のために周囲を明るく照らすように。オーケストラの永続が、日本の文化芸術の力となり、文化芸術が人々に、幸せと平和と繁栄をもたらす力になると信じてこれからも頑張って参ります。


神奈川県「郷土神奈川」第49号 より




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